恐縮の極みとなる。1年程前に書いて保存していた記事をひっぱり出すのだから。
みんな大好きモールリッポー(チカランの)、私も時々訪れるが、決して大好きなわけではなく、用事はシムのチャージと買い物に付き合わされるぐらいのもの。土日は人が溢れかえっている。中間層と貧困層か。
そんなモールリッポーの横に、駐車場らしきモノが、少し前から作られている。色々と話を聞いていると、何やらリッポー財閥の超お偉いさんがモールを訪れたらしく、その際に駐車場が満杯で「新たに駐車場をつくれ!こんな状況は良くない!」の一声で、工事が始まったとか…。
まぁまぁ、そんな事はよくある話で、言及したいのは「その工事は、猛烈なスタートダッシュを決めたが、その勢いはどこへやら、途中でとまり、完結せずに放置されている」ということからの考察だ。
事情は色々あるのだろう。言い訳好きのインドネシア人なら、いとも簡単にそれらしい言い訳をズラリと並べるかもしれない。ただ、個人的には相対的にみて、インドネシア人は「はじめは調子が良く、できない事もできると言い、いつの間にかやれなくなっていて、責任の所在を曖昧にし、頓挫している」というケースが多いように感じる。それが良い悪いと言うつもりはなく、感じるコトとして。
そうなる要因のひとつに「気候」と「宗教」があるのでは?とふと思ったりする。
こんな年中暖かい国なら、別に宿がなくとも、そのへんに寝たって死にやしない。最悪食い物さえ何とかなれば、生きていけるのである。
宗教は、気軽に触れると大火傷をくらいそうになるが、恐れずに触れてみる。制約 (豚を食わないとか、アルコールを摂らないとか) をきちんと守り、律儀にお祈りをしっかりすれば、来世の幸せが保証されている。良い悪いでは決してないのだが、そんな思想を信じ込めば「今は最低限で来世に期待‼︎」の考えが頭を横切ってしまうのは当然といえば当然。
そんな理由が、だらけた行動に繋がるのでは?と、思ってしまうのもこれまた当然、と言ってしまう。
日本は、勤勉を土台に繁栄を遂げた。勤勉に程遠いこの国に、皆が期待しているような発展が訪れるのだろうか。そこがどうも気になり、今日も眠れない。