@cikarang

インドネシアはリッポーチカランでの生活を記録に残し、記憶にとどめる。

帰国後 日本のスーパーの素晴らしさを再認識


スポンサーリンク

「パパイヤ」や「ファーマーズマーケット」や「ハイパーマート」は、今となっては懐かしい響きだ。

これらのリッポーチカランにあるスーパーに対して、初めは「抵抗感 (価格や鮮度や質などの面で) 」があった。

でも人の慣れというのは大変優れもので、訪問の回数を重ねているうちに、不思議とその「抵抗感」は少しずつどこかに行ってしまってい、遂にはなくなってしまった。

特に必要性も感じなかったので、いなくなってしまった「抵抗感」を探しに行ったり、新しい「抵抗感」を買いに行ったりするようなことはなかった。

すっかり「抵抗感」をなくした僕は、そういった意味において随分とパワーアップしてしまった。それが良いか悪いかは別にして。

 

「抵抗感」が取り払われ、そういった意味においてパワーアップした僕は、久しぶりに訪れた日本のスーパーに、感動すら覚えた。「これが、外人の感じる日本のクオリティの高さなんだろな」と。何でも買いたくなる。

 

さて、そんな日本のスーパーでの感動を忘れないように記しておく。

刺身の鮮度と美味さには、度肝を抜かれる。海が近いというのもひとつの要因であろう。 

f:id:shogot1978:20171130140843j:imageこんな刺身が自宅で食べられるなんて、まさに幸せを感じる瞬間である。日本のビールや、インドネシアではあんなに高価だった焼酎が、刺身の横に並んでいれば、その幸せはさらにふくらむ。

f:id:shogot1978:20171203094443j:image近くの海でとれた「泉州だこ」だ。モロッコ産とは訳が違うのだ。

f:id:shogot1978:20171203094710j:imageどこかの海でとれた「まぐろ」だ。鮮度を感じる。インドネシアからの輸入品ではなさそうだ。

f:id:shogot1978:20171203094922j:image焼酎をいつでも手軽に購入できる「安心感」は、僕に心のやすらぎを与えてくれる。自宅のストックの残りを気にしたり、どこでどれを飲むかに思案することもない。日本から持ち込む際に、ビクビクしたりポーターにお金を渡すこともない。

おそらく、こんな夕食はごくごく当たり前に感じるようになるのであろう。忘れずに記しておく。

 

決して、どちらのスーパーが優れているという話ではない。どちらかと言うと、物事の良い面を見れるかどうか、という話なのかもしれない。