日本で生活していた時は、考えられなかったことだが、我が家は、虫たちと暮らしている。
虫たちと暮らす と言ってしまうと、まるで、人間と虫の共生、あるいは、お互いに支えあいながら、みたいなイメージになってしまいそうだが、まるで違う。我々は虫が入ってくるのを拒むし、虫たちは生活を我々に邪魔されるのを嫌がっているようだ。
こばえ
トイレ洗面所で、発生する。どこからくるのか?と、トイレ洗面所で、隙間という隙間を徹底的に埋めて、彼らの侵入を抑えようと躍起になっているのが、妻 である。最近の趣味か?と尋ねたくなるくらいなのだが、せっかくのバトルに水をさすわけにはいかない。ここまでやるのか‼︎ と尊敬の念を抱きそうになりそうな取り組みに拍手を送りたい。
減りはしたが、まだ存在し、我々を馬鹿にしたような飛び回り方は、決して許されたものではない。
トムキャット
インドネシアではちょっとした有名な虫である。人の肌の上を毒みたいなエキスを出しながら這うので、ミミズ腫れになってしまうとか。
気付けば部屋にいる彼ら、いつも娘に見つけられ、彼らが持つ毒素より強力な殺虫剤を娘にかけられ、ジ・エンド。娘の彼らを見つける能力はおそらく天性のものだが、彼らに執拗に殺虫剤をかけまくるあたりは将来がちょっとだけ心配になってしまう。ただ、娘は若くして、トムキャットハンターの称号を手に入れているのである、あっぱれ。
一度だけ、トムキャットを腕に這わせたことがあるのだが、ミミズ腫れにはならなかった。仮説ではあるが、彼らはいつも毒素を出しているのではなく、何か気にくわないことがあったときや、身の危険を感じたときなどに、出しているのではなかろうか、と。実は、極悪の虫でもないのかもしれない。
ただ、じっと彼らを見ていると、我々を馬鹿にしたように、たまにお尻を左右にフリフリしている行為は、決して許されたものではない。
ヤモリ
東南アジアでは、よーく目に入るヤモリ。悪さはしないどころか、虫を食べてくれるので、どちらかといったら我々の味方であろう。ヤモリは屋守である。さらに、彼らは鳴くのだが (キーキーキーと)、七回で鳴き止んだのを聞くと幸せが訪れるという神話まで持っている。
ただ、トイレ洗面所のコバエどもを、食べていないサボりにも似たその行為は、決して許されたものではない。
アリ
言わずと知れた アリ 。忘れた頃にこそこそとやってくる。弱小の代名詞の彼ら、数がいれば何とかなると思っている陳腐な思考は、我々をよりイラつかせる。それは、決して許されたものではない。
我が家には、色んな虫がいる。どちらかと言うと友好的なモノ、中立的なモノ、どうみても敵対的なモノ、彼らを排除するのは、家の構造なども関係してくるので、永遠のテーマのように感じてしまう。
実際問題、気になる程もいないのだが (たまにギョッとする程度)、リッポーチカランの田舎ならではな感じがしたので、記録に残し、記憶にとどめておく。