リッポーチカランのシンガラジャ通りは、僕に様々な記事ネタを提供してくれている。それだけ、僕もシンガラジャ通りを訪れているということだ。そこには、おそらくある程度の関係ができている、と言って然るべきだと思っている。
だからこそ、僕には一線を超えた発言が許されている、と勝手な解釈を勝手にして、無責任に言ってみたいと思う。
” シンガラジャ通りは、確実にさびれの一途をたどっている” と。
一ノ瀬が潰れ、祭りやが移転し、うどん区がなくなり、そしてラーメン180までもが店を閉じた。通りの全体的などんより感は否めない。
別にどんよりしたっていい。どんよりしたければ、いくらでもどんよりすればいい。どんよりグランプリがあれば、優勝をかっさうぐらいのことをしたらいい。
なぜなら、僕の記事ネタになったカフェや散髪屋やカレー屋やマッサージ店は、今のところある程度の活気を持って営業活動をしているので、僕にとって実害はないし、仮にシンガラジャ通り全体が天災かなんかできれいになくなったって、痛くも痒くもない。ただ、少し寂しい気持ちになるだけだ。
なくなって欲しくないという思いを込めて、今回はシンガラジャ通りの ” 参河 ” が標的だ。
さびれたシンガラジャ通りには、不似合いの洗練された店構えである。潰れる雰囲気なんて微塵も感じない。
うどんと珈琲のお店である。しっかりとしたコシのあるうどんを食べさせてくれる。売りが明確な方が、インドネシアでは良い。
カレーうどんが人気だということで、唐揚げのせカレーうどんを頬張った。デルタマスの ” 絆 キズナ ” のカレーうどんも美味いと思っているが、参河も負けてはいない。
うどんだけでなく、天麩羅を中心としたツマミもあるので、飲みにだってこれそうだ。
そして、一番気になっていたのが、珈琲である。
看板に珈琲を謳っているからには、それなりの珈琲であるべきだ。
期待なんて大抵は裏切られるのに、裏切られた気にならなかった。
こんな珈琲っぽさが、溢れんばかりのセットでもって、珈琲をいれてくれる。
珈琲セットにすれば、こんなブラウニーまで付いてくる。この小ささは、珈琲を際立たせるためのモノ以外の何者でもないと、僕は信じて疑わなかった。
こういったこだわりを持って頑張っているお店は、シンガラジャ通りにはある。こういった店達が、シンガラジャ通りのさびれを払拭し、活気ある通りにしてほしいと、シンガラジャ通りとある程度の関係ができている僕から身勝手に無責任に、願ってみる…。