ムスリムだらけのインドネシアで、イスラムの風習を目の当たりにしてきた。
はじめは、ヒジャブなんか違和感の塊のように見えていたが、慣れとはすごいもので、もうすっかり受け入れられる。
お祈りの多さも、風呂の回数も、食事やアルコールの制限も、見ているぶんには違和感がなくなってきている、明日からムスリムをうまく演じれるんじゃないか、と思うくらいに。
ただ、様々なムスリムの風習を、きちんと理解しているかというと、そういうわけではない。なんでアルコールがだめなのか? ヒジャブはなぜ着ける? お祈りの回数は?… 。 理由がよくわからんものについて、自分なりに何らかの理由にありついておきたい。
そう思って、だいぶ前に、”なぜ 豚を食べたらいけないのか?” というイスラムの初歩的な制約について、色々と調べてみたり妄想をしたりしてみた。
なぜ豚を食べたらダメ?
- その昔、豚からの伝染病が流行ったため、禁じられた
- 豚は不浄な生き物だから (繁殖力が高く、交尾ばかりしてるので、それがうつるということ)
- ヒトの食糧がなくなるから。豚が美味しいことを皆が知ると、皆が豚の飼育を始める。すると、豚は他の家畜と違って雑食なので、それだけ与えるエサも増える。そうなると、貧しいヒトのぶんの食糧がなくなってしまうから。だから、美味しい豚肉は育てない→食べない
- 豚はいわゆる ”食っちゃ寝” の怠惰な生活をする生き物で、それは禁欲的なイスラムの考えとは真逆だから
- 豚は定住型の家畜。イスラムはもともと移住型の生活スタイルで、定住型の人々を下に見ていて、あわせて豚も下に見ていたから
- 豚には首がなく、殺す際に沢山の苦しみを与えることになるため
- 家畜として劣る。牛はミルク、羊は毛、のような副産物がないから
※ 因みに個人的には、3 が一番しっくりくるように感じている。
色んな理由がある。調べれば調べるほど、様々な説が登場してきそうだ。そして、正しそうなものもあれば、あやしそうなものもある。
でも、実は 豚を食べてはいけない理由なんてもともとない んじゃないかと、個人的には妄想に近い仮説を立てている。
ホントは理由なんてない⁉︎
アラーは神様なので、その昔、それなりに神様っぽい振る舞いをしなくてはならなかった。
だから、神様として、信者たちを同じ方向に向けることができたら、それはそれで神様っぽい振る舞いとなり、神様らしい仕事をしたことになる、とアラーは考えたのではないか。
豚を食べてはいけない理由は不明確なのに、結果として、いまだに豚は食べてはいけないことになっていて、実際に食べられてもいない。
これは、信者たちに同じ方向を向かせ続けているという意味で、アラー神様の圧勝と言えるのではないか。
さすが神様で、そのやり方が神がかっていたと想像する。” ブタは食べるな! ” の一言で、信者たちは豚を食べなくなり、やがて信者たちは、なぜ神様は豚を禁ずるのだろうか?と考え始める。
人は、やれる理由よりもやれない理由を考える方が得意だし、お題が壮大すぎるので、十人十色の解が出てくる。
様々な豚を食べてはいけない理由があがると、ますます食べるとマズいことになりそうだ、と信者たちは想像を駆り立て、ますます食べようとしなくなる。
そうやって、現在まで豚の摂取禁止を続かせている アラーは、やはり偉大であり、ホントに神様なのかもしれない、と思ってしまいそうになる。
僕も、豚を食べたらいけない理由を考え、そして ” アラーすげぇ” の妄想まで膨らませてしまったので、実は、知らず知らずのうちにイスラムにひきこまれているのかもしれない。ホントに明日からムスリムになれるのかもしれない…
しかし、実際的には、” アラーすげぇ”妄想よりも、グルメ妄想からの食欲の方が強く、僕は今日も分厚い豚カツを頬張ることになる。
そして、この美味い豚肉を、例えば、ムスリムが普通に美味しいと食べるような時代が訪れたとすると、それは、アラーに代わる神様が登場したことを意味する。