日本食はもちろん美味しいし、日本のお酒なんて素晴らし過ぎる、と思う。日本に帰ってきて、その恩恵を目一杯に浴びれるのが何よりの幸せだ。
その一方で、インドネシア料理がとても恋しくなったりもする。これまで毎日のように食べていたものがある日突然なくなる、みたいな習慣の破壊が起こると、心のバランスに違和感が生じてしまう。
心のバランスの違和感を払拭しようと思ったわけではないが、お土産を頂いた。しかもリクストしたものだ。
あの「Bon Cabe」だ。
その昔、僕は「Bon Cabe」の虜となっていた。
http://www.shogot1978.com/entry/20161221/1482249028
http://www.shogot1978.com/entry/20170213/1486995887
↑Bon Cabe 関連の記事を読んで頂くと、その虜っぷりを少しはわかってもらえるかもしれない。
それから、
あの「サンバル」だ。
こちらはお土産ではなく「KALDI カルディ」で目にしたので、思わずというか反射的にというか、気付いたら手にとり購入したものだ。
輸入品なんだろうが、所々に日本語表記があって、どこでどうやってつくっているのか気になる。
両者とも、もちろん美味しかったし久しぶりに唐辛子の辛さを楽しめた。
ただ、大絶賛をして記事を終わりに向かわせる程の感激はそこにはない。残念ながら、何かが決定的に不足していて、何が絶望的に欠落しているのだ。
それは、おそらくは環境なんだろうと。
味自体は当然、昔と今もほとんど変わっていない。こちら側の受け取り方なのだ。
サンバルやBon Cabe は、あのインドネシアの気候によくマッチしている、いや、あの気候から生まれた調味料なのだから当たり前の話なのだ。そして、あのインドネシアの料理達と抜群の相性を誇る。
だから、日本で食べたところで環境が全く変わってしまうので、本領は発揮できないのだ。そういった意味での不足や欠落だ。
それは夏に上げる花火を冬に上げているような、あるいはタキシードを着てお祭りに参加するような、そんな「ズレ」のようなモノだ。
何かに流されるのは決して好きではない。が、大きな流れに身を任せていた方がしっくりするものもある。その流れに対して、変に外れてみたり逆らってみたり奇をてらったりしてみたところで、結局はうまくいかなかったりする。
名産品は、その地で消費するのが一番良いのだ。
だから、お土産の定義も時代に合わせて、変わっていきそうだ。今なら自宅で何でも買えるから。
またインドネシアで、Bon Cabe やサンバルソースを食べたいと、より一層思うはめになってしまった。