12月になった。日本では、先月都心で雪が降ったとか何とかで、ニュースになっていた。そして、また寒さと共にあの独特の雰囲気の ”暮れ” が今年も訪れるのであろう…。
まぁまぁそんな事はどうでもよろしく、ここリッポーチカランは、当たり前の話ではあるが、12月も 相も変わらず 暑い日が続いている。続いていると言うよりは、暑い日しかないのである。雪なんて決して降ったりしないし、暖房が必要になることもない。ただただ、雨季と乾季を繰り返し (最近は、雨季がない、所謂雨が降らない、ということもあるらしい) 、” 時間が経過 ” していくだけなのである。そこに寒さなどが入る隙は、どこにもないことになっているのである。
” 時間の経過 ” とは不思議なもので、楽しい時は早く、つまらん時は遅く感じる。子供の時は遅く(夏休みなんて永遠なんじゃなかろうかと誤解していたくらいだ)、大人になると早く感じる。
それらは、もちろん錯覚であり、集中力がそうさせるとか、経験の有無や大小がそうさせるとか、巷ではよくささやかれている。こないだなんて、酒のおつまみランキングの上位に、この ” 時間の経過 ” が食い込んだのは、記憶に新しいところであろう、というぐらいに ” 時間の経過 ” の不思議は人々の関心を寄せる。
少しズレるかもしれないが、ここインドネシアのリッポーチカランで、僕は ” 時間の経過 ” に関する新たな体験をしている。これは、日本では出来ないし、そしてインドネシア人にもできないことだろう、と思っている。
結論から言うと、” 四季の有無による記憶の濃度の差がもたらす時間がゆがむ錯覚 ” といったところであろうか。まるで論文が書けそうな文言になってしまった。
日本生まれ日本育ちの僕は、四季が前提の生活に慣れきってしまっているので、インドネシアの、気候の差のほとんどない生活は、日々の変わり映えが全くなく、毎日が同じように感じられ、今が何月かなんて別に不要とさえ思えている。
衣類はずっと短パンポロシャツだし (ファッションについての関連記事はこちら: http://shogot1978.hatenablog.com/entry/20161118/1479397686 ) 、食べ物はずっと同じようなインドネシア料理一辺倒である。時の流れに抑揚がないというか、緩急がないというか、節目がないというか…。四季に彩られた衣食住は、何より楽しいし、生活の変化が大きいぶん、記憶にも留めやすいし、今がいつなのかもわかりやすい。
インドネシア生活も2年が過ぎ、四季のない違和感が、” 時間の経過 ” の感覚をゆがめている。今いつだっけ?あの出来事はいつのこと?といった具合に。現代版の浦島太郎なのかもしれない…。
酒のおつまみが多彩になっていく…。2016年の ” 暮れ ” にはきっと、” 時間の経過 ” が、酒のおつまみランキング1位を奪取するのだろう。