@cikarang

インドネシアはリッポーチカランでの生活を記録に残し、記憶にとどめる。

リッポーチカラン さようなら!


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2017年10月10日を最後に、僕はインドネシアを後にした─。仕事の任期終了である。合計で5年ほどインドネシアに関わったことになる。

あまりにもインドネシアを好きになり過ぎたので、後ろ髪を引かれるどころか、身が引き裂かれる思いで、帰国の途に着いた。それは、忘れられない記憶として、今後ずっと胸の内にとどまることになるのであろう。そんなことを書いていると、今でも少し涙腺が緩みそうになるから手に負えない。

 

だから、少しでもインドネシアにいる感じを保ちたく、このブログで自分を少しでも誤魔化せないかと、ストックのネタで記事を書いていた。そして、そのストックも遂に底をついてしまった。

そろそろ覚悟を決めないといけない。インドネシアにさよならを。

 

自分の故郷はどこなんだろう?と考えてしまうくらい、僕がこれまでに住んできた土地の数は多い。それは、両手で数えるには全然足りないぐらいに。だから俗に言う「出会いと別れ」なんて慣れっこだし、一つの地にとどまらない生き方は、僕の人生においてある種のテーマになっているぐらいだ。

だから、インドネシアを去るときも、何も特別なことではない、いつものことだと思っていた。

 

がしかし、特別なことであり、いつものことではなかった、と気付くのにあまり時間はかからなかった。特別なことで、いつもと違っていたのは「国との別れ」が初めての経験だったということ。

今回のインドネシアが、初めての外国での生活だった。日本では引越しを繰り返していたが、それは日本国内の話で、習慣や文化なんかの差はほぼないと言ってよい。

だが、あのインドネシアでの楽しい生活がある日を境に「はい、おしまいでーす」というのは、思っていたよりも酷であった。気に入っていただけに。

あの人々、あの言葉、あの料理、あの気候、あの宗教、あの風習にあの雰囲気…。こんな単純な言葉だけでは表現しきれない、僕が生活してきたインドネシアという国との別れは、それはとてもとても辛いモノに感じた。インドネシアという国との別れがこんなにも辛いとは、想像もしていなかった。

インドネシアの生活なんて、もうおそらくできないだろう。旅行ぐらいはできるが、それは生活ではない。もう戻ることはできないという意味では、大好きなガールフレンドと別れるイメージに近いのかもしれない。「ちょっと込み入った事情で、もう会えなくてなったんだ、ごめん」みたいな。

 

初めて経験する「国との別れ」に僕はとても戸惑っている。混乱していると言っても良いかもしれない。これは、インドネシアが大好きだった証に他ならない。

でも、いつまでも戸惑い混乱してはいられない。どう足掻いてもあの生活はもう戻ってこないのだから。

これからの日本の生活に楽しみを見出すまでだ。いつの日か、またインドネシアで生活できるようなことがあるなら、そんなに嬉しいことはないが… 。

 

 

というわけで、250程の記事を積み上げ、月2万を超えるアクセスにまでなったこのブログも岐路に立たされている。

方向性はまだ見えない。インドネシアはリッポーチカランのことを思い出しながら何かを書くのか、インドネシアから帰国した日本人の感じるところを書くのか、今の生活を記憶に残すのか…。

 

とりあえず、これまでチカランについての拙い記事を読んで頂いた多くの皆様、ありがとうございました。

 

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