サンバルソースは、インドネシアにしっかりと根付いている調味料のひとつに数えても、誰も反論はしないだろう。
スーパーに行けば、調味料のかなりのスペースをサンバルソースが占めているし (ケチャプマニスも負けてはいない占めっぷりではあるが…)、インドネシア料理屋に行けば、もれなく料理の横に何食わぬ顔でついてくる。
そんなサンバルソースを僕は好んで食べる。言い過ぎてみると、白米にかけて食べたりもする。そして、どちらかというと、スーパーに並んでいるような具なしタイプよりも、手作り感のある具ありタイプの方が、僕は好ましく思っている。
そんなサンバル好きが、唯一気を付けなければならないことがある。
妻のつくった料理にサンバルソースをかけまくらないことだ。
勝手気ままにかけまくっていると、料理によっては、身体に穴が開くほどの冷たい視線が飛んできて、辛さがどうこう言っている場合ではなくなる。
それもそのはず、せっかく味に工夫を凝らしてこしらえた料理に、サンバルソースをかけてしまったら、その味が一気にぶち壊されてしまうから。
そういった意味では、サンバルは主張が強く、それだけで味に劇的な変化をもたらす、日本の控えめな調味料たちとは訳が違うのである。要注意。
あんまり好きなもんだから、どんなもんかと、サンバルソースを自分で作ってみたこともある。
その記事はこちら↓
http://shogot1978.hatenablog.com/entry/2016/05/24/002616
作った後に知ったのだが、サンバルソースの作り方や材料や分量などは、家庭や好みや料理によって変わり、その味や色や匂いのバラエティは、実に様々だという。
それ故に、サンバルソースの奥深さと愛される理由が、わかったような気になって、喜びはしゃぎ回ってはみたものの、所詮そこまで。サンバルを語るにはまだまだ若すぎる。
そうやってサンバルに注目しているので、普段からついつい目に入ってくる。
先日、リッポーチカランのシティウォークをぶらぶらしていたら、まるで毎日欠かさずに行なっている何かの儀式のように、慣れた手つきで手際よく、時々笑顔を振りまきながら、サンバルソースを調理しているおばさんがいた。
Soto Mie のワルン的なお店なのだが、サンバルおばさんと呼んでみる。
ピンクのシャツと色黒であることで、白髪のインパクトがより一層強くなっているサンバルおばさん。見たくれ通り、サービスが精神旺盛で、惜しみもなく僕に ”サンバルおばさん流” のサンバルの調理方法を披露してくれた。
油でチャべを炒める
あの石臼でチャべを潰す(油で火を通した方が、チャべが柔らかくなり潰しやすい)
トマトは刻んで、秘伝のスープと共に煮込んでいた
煮込み終わったトマトに、潰したチャべを放り込んでいく。
おそらく、秘伝のスープにニンニクやらトゥラシだとかの、必要なものを、あるいは、特徴的になるようなものをいれているのであろう。
こうやって、料理の横に並ぶサンバルソースがこしらえられていくのである。
リッポーチカランも栄えてきているが、有難いことに、まだまだ田舎的な部分も残っている。
手作りサンバルソースが、いつの日かスーパーに並ぶサンバルソースに置き換わってしまわないことを、僕は自己中心的に願うばかりである。